食品工場ナリアちゃんのつぶやき

 4ヶ国、さまざまな人種のサラダボウルな環境で働きはじめて1ヶ月半、日々スタッフも入れ替わっている。日本人スタッフとして直接新人教育する事もあるのだが、若い外国人の女の子が不安そうにしているのを見るにつけ、思い出される事がある。

 

 自分自身も、若い頃無謀な志を持ってアメリカへ渡ってみたいと考えた事があった。子供も恵まれなかった為、離婚を機にこれがラストチャンスかと迷った時期があった。

 そんな折、小学校時代から交流の続く友人がご主人の仕事で渡米した。教育関係者で急な話だったらしい。彼女はすでに妊娠初期だったが彼について行く決心をした。

 冬の華やかなニューヨーク。彼女が羨ましいなと思っていた。数ヶ月後、産まれましたよ、と彼女のお母さんから道でお会いし知らされた。

 初めての海外で、言葉もまだ不自由、保険制度の条件も日本とは違う中、住む物件探しや自分の体調管理、まわりの人達への気遣い、それだけでも大変だったようだ。

 そんな中、おおらかなお母さんは笑い飛ばしていたが、結局産院が見つけられず、自宅石張りの床に直接毛布を敷いて、お母さんが助産婦さんの代わりに取り上げるかたちでなんとか無事産まれたとの事だった。

 

 観光で訪れた華やかなイメージの外国で、実際腰を据えて生活するのには、想像以上に相当な覚悟が必要だ。経験者の生の声を聞いて、若い私も理解した。

 通勤電車に乗り、黒いアタマ群をずらりと眺め、単一民族国家なんだなとつくづく思った。ここで普通に一生暮らせるのは、もしかしたらとても恵まれている事かも知れない、と感じた。

 

 今、日本の中のアメリカのような場所へ縁あって飛び込まされているが、来たばかりの外国人の若い人たちを見るにつけ、最近渡米したばかりの頃の友人の苦労話が思い出される。

 そこから先、人生を切り開くのは自分次第だが、若さも健康も備わっているうちはなんとかなるのよ、は友人本人の談だ。